午後7時の顔面神経

ハロヲタのための24のガヴォット第7番変ロ長調 顔面神経午前7時

1998年

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1998年

インディーズで 愛の種 5万枚完売という常識的にはとても不可能な難題を 

福田 安倍 飯田 石黒 中澤 の5人は達成してしまった

もちろん ASAYAN という高視聴率の番組のバックアップは大きかったが

それだけでは豊富な情報の中で懐疑的になっていたファンは動かなかったろう

やはり ひたむきにがんばる姿 がブラウン管を越えて伝わってきたからだろう

 

こうして つんく 作詞・作曲による メジャーデビュー曲 

モーニングコーヒーが発売された。

98年1月28日のことだった。

衣装や曲調は あきらかに CoCo を意識した正統派アイドル路線

久しくこのような作品が世に出ていなかったため たちまち話題になった。

結果はオリコン初登場6位 の30万枚 

という新人アイドルユニットとしては久々の大ヒットを記録したのである

 

 

中澤 石黒 飯田 安倍 福田 の5人の”モーニング娘。” はいわゆるアイドルユニットとして順調にスタートした。

もしかしたら 冬の時代 に終わりをつげる存在になるような気がした

5人という人数も衣装も デビュー曲の曲想もCoCoによく似ていた

 

ところが 2ndシングルのレコーディングも始まらないうちに ”つんく”がとんでもないことを言い出した

 

”増やしましょうか”

 

ナニを言い出すんだ せっかく順調にいってるのに  それに やっと5人の名前がしれわたったところなのに

ASAYAN見てたから オイラはだいぶ前から知ってたけどね)

シングルの1枚目と2枚目でメンバーが増えたなんてユニットはないぞ(減ったのはたくさんあるけれど)

 

そんなわけで 多くの ファン スタッフ そしてメンバーたちのとまどいのなか

 

市井紗耶香 保田圭 矢口真里

 

の3人を加えて 2ndシングル”サマーナイトタウン”が発売されたのだが

これがまたびっくり 前作と曲想がまるっきり違う!

(ふつう2ndシングルはデビュー曲の曲想に似せることが多い)

 

それでも ある意味 キワモノとも受け取られかねないこの曲は支持され

オリコン最高位4位のヒットとなったのだった

(この時点では3人の中で矢口が目立ち、市井と保田は目立たなかった)

 

1998年という年はいろんな意味で アイドル史のうえで大きな意味をもつような気がする

ASAYANという番組が はっきりとアイドルシーンの中心として認識された

モーニング娘。以前にも Say a Little Prayer とか 佐々木ゆう子  とか

セールスは別として 話題はじゅうぶん集めただろうし、鈴木あみ などは主役に近い存在であったといってもいい。

いっぽうで 宇多田のブレイクもあったし、kiroro のようなユニットも注目された。SPEED もまだ勢いを保っていた。

コンポーザーに視点を移しても、コムロ イヂチ といったヒットメーカーに

つんく という新しい勢力が割り込んできたという認識だったろう。

だが この 新しい勢力 は予想以上に大きな波紋となって成長していくのである。

 

そして98年の7月には、モーニング娘。 の待望の1stアルバム ”ファーストタイム”が発売された。

アイドルらしいアイドルのアルバム というのは ほんとうに久々だった

(SPEED は アイドルとしての重要な要素が欠落していた)

アルバム1曲目の Good Morning のイントロが流れてきたとき

長い長い飢餓状態が またたくまに癒されていくのを感じた。

すぐに連想したのが うしろ髪の ”素敵なモーニングドライブ” である

だが 決定的な違いがある。うしろ髪のほうは 男の子のほうからモーニングコールがあって

主人公の女の子は いやいや? つきあってドライブに行くのだが、

娘。のほうは 女の子のほうからモーニングコールして誘っている。

 

ちょうど 70年代の山口百恵(待っている女)と

80年代の松田聖子(積極的に誘う女) の対比のような違いが見られる。

とにかく この曲には 語りつくせないほどの思い入れがある。 

 

それまでの女性アーチストは、何というか 距離を感じさせる ものが多かった。

衣装や振る舞いなどに どこか 見下したような感じをうけるのだ。

 

歌唱力 ダンスの切れ ルックス ・・・オーディションでは こういったものが主な選考基準になりがちだが、

ブラウン管のむこうにいる人間の心をつかむのは別にある

それを 多くの人が気づいていただろうし、つんく も ASAYAN のスタッフも考えていたのではないだろうか。

 

外野から見れば素人に近い女の子を寄せ集めたようにしか思われないユニットが

オリコンの上位にランクインしたのが不思議だったかもしれないが

少なくともASAYANを見ていた人にはじゅうぶん予測できたブレイクだった。

 

そして98年の9月9日には、モーニング娘。の3rdシングル

”抱いて HOLD ON ME” が発売され、初のオリコン1位を獲得する。

 

3曲目で1位を獲得するのが理想的 と いわれることが多い。

その意味でも 計算通り だったかもしれない。

 

このころになるとASAYAN視聴者でなくても モーニング娘。の名前は多くの人に知られるようになる。

ただ今と違って音楽活動主体であり、CMにすら出ていなかった。

その中での1位獲得は楽曲の良さとASAYANの巧妙な煽りによるところが大きい。

 

この年 ASAYAN では ファイナルオーディションとよばれるものが行われ、

最終候補の5人を 視聴者による電話とインターネットの投票で決める  というやりかたであった。

ここで目をひいたのが 鈴木亜美(後の鈴木あみ) もちろん好みのタイプだったから両方で投票した。

結果は 諸隈美幸と大接戦の末鈴木亜美が選ばれた。 のはよかったのだが

よりによって小室・・・・(残念)(2位の諸隈美幸も後に小室プロデュースでデビューするが売れず)

ともかく話題性とルックスだけは抜群だったから 小室のヘンな曲ながら そこそこのブレイクをはたした。

(まだ初期のころは それなりにいい曲は書いていた)

こうして モーニング娘。 と 鈴木あみ は同じASAYAN出身のライバルとして、しばらくASAYANのネタとして利用されることになった。

 

抱いて HOLD ON ME オリコン1位の余韻がさめない頃、つんくASAYAN がまた動いた。

なんと モーニング娘。のなかで もう1つユニットを作る というのだ。

 

福田と安倍 が 娘。の顔 として成長してきた

中澤はすでに演歌歌手としてソロデビューしている

そこで 飯田 石黒 と 新メンバーの中から3人目を選んで  3人組のユニットを・・・ というものだった。

 

さっそく 矢口 市井 保田 の3人の中から新ユニットの1人を選ぶためのオーディション?が始まった。

 

たぶんこれには まだ知名度の低かった新メン3人を認知させる意図もあったろう。

5回あったオーディションの中で なぜか この2期生だけがオーディションの様子を

ASAYAN(5期生はMUSIX!)で あまりくわしく追われていなかったのである。

 

結果は 矢口が選ばれ 実際はどうかは知らないが見ているほうには 

市井・保田 と 矢口のあいだに 微妙な溝のようなものができたように思えたのだ。

 

こうしてモーニング娘。の 飯田 石黒 矢口の3人からなるユニット タンポポ がデビューした。

こうした場合にもはや定番となった戦略が いわゆる タイアップ である。

タンポポのデビュー曲 ラストキッス も 

アニメ魔術士オーフェン”のエンディングテーマとして発売のかなり前から流れていた。
(普通に変換すると 魔術師 と出るのでそう書いていたところ
 加辻後 石矢。 さんから 魔術士 だとの指摘をいただきました。)

しかし この曲は そんなタイアップが必要ないほど楽曲がすぐれていた。

むしろアニメのイメージが逆に邪魔になってしまったような気がする。

もしかしたら3人組女性ユニットの記録を塗り替える可能性すらあった曲なのに

そうした戦略のチグハグさが災いしたのか ジャケットに問題があったのか

(それも計画のうちだった可能性もあるが) セールス的には平凡な数字で終わってしまった。