午後7時の顔面神経

ハロヲタのための24のガヴォット第7番変ロ長調 顔面神経午前7時

1999年

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抱いて HOLD ON ME で オリコン1位を達成し、すべてが順調にいくかに見えた

モーニング娘。だったが、年が明けた1999年の1月に

全く予期せぬ(だったと思う)トラブルが起きる。

メンバー最年少であった 

福田明日香 が”学業に専念する”という理由で脱退を宣言したのだ

これは ファンにとっても スタッフにとっても計算外のできごとだったろう

そしてこのことがきっかけで いわゆるアーティストとしての

モーニング娘。”は違う方向へ動きだしていったような気がする。

 

説得して思いとどまらせることは不可能ではなかったろう。しかしスタッフはそれをしなかった。

別の鉱脈 が確かに存在することを感じ取っていたのかもしれない。

 

そんな中 1999年2月 4thシングルの メモリー青春の光 が発売されたわけだが

この曲 シングルとしては これまで発売された13曲のなかで 最も充実している

まさに モーニング娘。は 少なくとも

音楽的な意味においてこの曲で頂点を迎えたのである

ベースに ウィル・リー ギターに ハイラム・ブロック が参加した

ジャズ風のサウンドはもう2度と再現できないかもしれない

 

さらに このシングルには c/wとして 

Happy Night と Never Forget の2曲が収められていて

シングルとしても大変価値の高いものになっている

 

ライブもこの頃までは生バンドでやっていたようだし、

8人のコーラスワークはかなりの完成度に達していた

 

そしていまや伝説となった4月18日 ほとんどのメンバーが泣き崩れる中

涙を見せず卒業していった福田明日香だったわけだが

学業に専念 という理由が その後の状況から見て 

裏に何らかの内紛?があったことを匂わせている

 

メモリー青春の光 の直後に  

タンポポの2ndシングル Motto がリリースされるのだが

この曲にもハイラムブロック(ギター) とウィルリー(ベース) が参加していて

サウンドはかなりジャズっぽい

この時期は 娘。本体も 内部ユニットの タンポポ も

音楽そのもので勝負 という

戦略に出ているわけだし出来上がった作品もそれを裏切っていない

このことは TANPOPO1 と セカンドモーニング の

2枚のアルバムに収められた楽曲のクオリティの高さにも現れていて、

メンバーの1人1人に しっかりと 役割 が与えられている

 

だが変化は福田の抜けた娘。本体より むしろ内部ユニットのタンポポのほうに先にあらわれた。 

TANPOPO1に含まれていた たんぽぽ が

歌詞の1部を変えて 3rdシングルとして発売されたのだ

この曲 決して悪い曲ではないのだが

それまでの路線とは明らかに異なり ありきたりのアイドルポップスだった。

 

よく 石黒の卒業 および 加護・石川の加入がタンポポの音楽性を変えた

みたいな言い方をされることがあるが それは違う

石黒の卒業するずっと前からタンポポの路線は変わっていた

現在の路線は 3rdシングル以降そんなに変わっていないのだ

 

そしてこの路線変更は セールス的には成功だったわけで

これ以後 あと1歩でオリコン1位 という成績が続くのである

 

7人になった 娘。の5thシングルは 

明るいアイドルポップス路線の ”真夏の光線であった。

ちょうど瀬能あづさが抜けたときのCoCoの”夏空のDreamer”を思わせる曲調で

3曲続いた短調から”モーニングコーヒー” のイ長調に戻り

、”青い珊瑚礁”のようなイントロまでついていた。

まさに出発点に戻す という意図であったのだろう。

ジャケットはこの曲のものが1番よくできていると思う

そしてc/wには同じイ長調で これまた名曲の”恋の始発列車が収められていたが

この曲は後のアルバムにとんでもない爆弾が用意されていた。

 

1999年夏 共にトップアイドルとなっていた モーニング娘。と 鈴木あみ が

 同じ日にシングルをリリースした。

もちろん 共に ASAYAN出身であり 番組の企画でもあったが

 さらに もう1つ仕組まれた部分があった。

ここまで順風満帆で挫折を知らない 娘。 に敗北を経験させる という意図である。

夏場のバラード  アルバム先行シングル という 売れない条件 をそろえ

なおかつ 相手は良く知られたカバー曲でタイアップつき という 

誰が見ても結果のわかるものだった。

このようなもくろみを秘めて発売された

 6thシングル ふるさと は しかしながら大変な名曲であった

シングルとして 音楽性 だけで勝負したのはこの曲が最後だろう

可能な限りの悪条件の中 曲だけは抜群 というこのシングル

は17万枚という大善戦を果たすも オリコンは5位

 

しかし本当の敗者は1位になった 鈴木あみ のほうであった

その理由は ASAYAN の放送を見ていた人ならおわかりだろう

この事件がきっかけで あみ は急激に下降線をたどり、

娘。は ラブマの大ブレイクにつながるのである

小さな勝負に負けて 大きな勝負に勝った そんなターニングポイントであった

 

そして最大のターニングポイントというべき

後藤真希の加入とLOVEマシーンのミリオンヒットである

当然のことながら さまざまな原因が複合しているので短絡的な結論付けをすべきでない

ただ数字だけ見れば 前回のシングルと比べて売上枚数が10倍以上になったのは事実

A級アイドルから超A級アイドルへと登りつめたわけである

 

結果的に第3期生は後藤真希1人 ということになった。

他のメンバーはオリジナルの1期生も含めてみんな同期生がいるのである

もともと3期生を選抜するための 第2次追加オーディションでは 2人の追加が予定されていた

最終選考に残った5人はASAYANで毎週画面に登場したし さまざまな予想がネットでもなされていた

 

しかし つんく の発言 ”今回に関しては2人は選びきれない”というのを聞いて

もしかしたら後藤1人かも という予感はあった(3人もしくは0人という予想もあった)

なぜならタレント性が傑出していたのである(歌唱力に関してはあまり高くなかった。) 

 

そしてもっとも危険を感じたのは ユニットの方向性を変えてしまいかねない

ということであった (2期生の増員のときにもきざしはあった)

 

やがて 後藤真希を加えた8人のメンバーによる 7thシングル

LOVEマシーン は 9月9日に発売され 予想をはるかに超える

ミリオンセラー となり モーニング娘。 は大ブレイクを果たした

その後のことは みなさんもご存知のとおりである。

やがて4期生 石川梨華 吉澤ひとみ 辻希美 加護亜依 が加入し

ファン層は急激に低年齢化し 新しい時代に向かっていった。

 

 

 

LOVEマシーンが大ヒットしてGMの掲示板も賑わっていましたが

次に話題になったのが新ユニット

すでにタンポポが活動中でしたがもう1つユニットを作るというもの

とうぜん タンポポの3人と中澤・安倍は対象外なので残る3人は・・・

ユニットの名称とか 過去のアイドルグループが話題になってました。

 

過去のアイドルグループ 投稿者:天然かおりんす  投稿日:10月04日(月)17時37分40秒

なんでおニャン子(85年)まで戻っちゃうのかな。
89年にデビューしたCoCo(瀬能あづさ三浦理恵子羽田恵理香宮前真樹大野幹代)はかなりの実力を持ちながら、大ブレイクには
いたりませんでした。このころにASAYAN夕ニャンのような番組があれば
違った展開になっていたと思うのですが・・・
娘。が5人でスタートしたのは、ひょっとしてCoCoを意識していたのかも
しれないです。あと3人のユニットとしては、うしろ髪ひかれ隊生稲晃子、斎藤満喜子、工藤静香)がありました。
タンポポも新ユニットも3人ですよね。3人は結構あります。
ribbonもあるし、古いところでは・・・・
マザーシップという表現は、ううむ

http://member.nifty.ne.jp/kaorins/index.html

 

そして3人のラジオ番組も始まりました。

新ユニットの 投稿者:天然かおりんす  投稿日:10月05日(火)20時47分16秒

デビュー曲はどんな曲になるのでしょうか、いろんな意見が出てましたけど
案外バランスのとれたナイスなユニットになるんじゃないですか
そんで 新ユニットの専用掲示板を作ったのでぜひ来てください。

http://www64.tcup.com/6409/kaorins.html

この掲示板 2000年1月より前のログは残ってないみたい